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雨ニモマケズ

2021年02月11日 21:24

私の出身地、岩手に生まれ育った宮沢賢治の『雨ニモマケズ』

私の理想
ですが、実際にやっていることは真逆


雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


この詩は、宮沢賢治が病気で死亡する1年前に書かれた作品。
宮澤賢治の死後、公表



現代語訳
雨にも負けず 風にも負けず
 雪にも夏の暑さにも負けない
 丈夫な体を持ち
 欲はなく 決して怒らず
 いつも静かに笑っている
 1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
 あらゆることを自分を勘定に入れず
 よく見聞きし 分かり そして忘れない
 野原の林の下のかげの
 小さなかやぶきの小屋にいて
 東に病気の子供がいれば
 行って看病してやり
 西に疲れた母がいれば
 行ってその稲の束を背負い
 南に死にそうな人がいれば
 行って怖がらなくてもよいと言い
 北に喧嘩や訴訟があれば
 つまらないからやめろと言い
 日照りのときは涙を流し
 寒さの夏はおろおろ歩き
 皆にデクノボーと呼ばれ
 ほめられもせず 苦にもされず
 そういうものに 私はなりたい

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